包丁の片刃と両刃
わたしは片刃派だが、母は両刃派である。
試しに「包丁 片刃 両刃」で検索してみたが、人によっていろいろな長所短所が挙げられていて面白い。
わたしにとって軽い両刃は気持ちが悪く、重みのある片刃のほうがサクッと刃が入って楽に感じる。
母にとっては両刃は使いやすい重さのようで、片刃は重いから嫌いとのこと。
写真を見てわかる通り、皮むきは片刃のほうが薄くむきやすい。
両刃は身がけっこう持っていかれる。
まぁわたし自身が林檎も梨も皮むきしないで食べてしまうので、単純にむくこと自体に慣れていないからというのもあると思う。
片刃で真っ二つに切るときに真上から狙いづらいというのは確かにある。
梨とか切るときに最初はいいのだが、最後が中心からずれるのはよくある。
それが面白いのだが、人によっては気持ち悪いだろう。
わたしが考える片刃のメリットとしては、やはり刃を入れるときにサクッと入っていくこと、刃の重さで食材が切れていくこと、重さが心地よいという3点かな。
2等分はたしかに難しいが、そんなにきれいに切らんでも死ぬわけではないから気にしない。
刃物を研ぐというのなら、やはり片刃がやりやすいだろう。
でも均等に研ぐのが好きな人は両刃が好きだろう。
面白い。
西洋ではいい砥石が採掘されなかった云々は初耳だが、なるほどたしかにとも思う。
もし採掘されたとしても、それを砥石にしようとは思わなかったのかもしれない。
良質な砥石が最初からあったのなら、わざわざ両刃にしなくてもよかったのだからね。
と思ったが、向こうからしたらわざわざそこまでして丁寧に砥がなくても、両刃ならそこまで砥石にこだわらなくても両面砥げば切れちゃうよという感じだろう。
実に面白い話である\(^o^)/
涼しくなったし筋トレ再開
奈良が涼しいのも明日までらしい。
明後日だったかな?
ぱんつさまとキャミソールだけで寝ると翌朝ふくらはぎの寒さで目が覚める。
いまは指先が冷えてる。
二の腕から指先にかけて筋肉ムキムキになりたいが、一番難しいとわたしは思っている。
筋トレで下半身を鍛えることは大事な理由を徹底解析 | 筋トレ知識倉庫|筋トレ・ダイエット・健康情報サイト
インターネットで筋トレについて検索してみると、下半身の筋トレがめんどくさいから上半身だけ鍛えたいというひとがいるらしいが、わたしからしたら上半身のほうが面倒くさい。
スクワットなら本を読みながらできるが、上半身はなかなかながら筋トレはできない。
たぶん筋力がないからというのもあるかもしれない。
あとは下半身は全身の筋肉の1/3を占めるとか知ってしまうと、スクワットと腹筋ばかりやってしまう。
あとはつま先立ちと踵立ち。
腕立て伏せやらなきゃ~ああ~。
体重は50㎏切って、体脂肪率も20,4%。
筋肉はどうなんだ~。
体重より体脂肪より筋肉量を知りたい。
今日は久しぶりにスクワットをしたが、案外疲れない。
腹筋もやろう!
糸紡ぎ機の調整 その3
先ほど行っていたのはこの部分の調整である。
このシュロのもじゃもじゃしたやつみたいなものを取り除き、代わりにタコ糸でぐるぐる巻きにして糸車をはめる予定である。
7月あたりに一度取り除こうとしたのだが、もじゃもじゃ加減とべたつきが気持ち悪くて断念していた。
下にティッシュを敷いておくと、細かい虫の卵のようなチリが落ちてきて気持ち悪がったのを覚えている。
今日は涼しかったのもあって、べたつきも落ち着いていたためハサミも使って引っぺがす。
作業中にやにやしていたようで、トイレに起きた母にえんえん「ニコニコっ」「ニコニコっとしちゃって気持ち悪い」「口角が上がっている」と言われる。
さっさと布団にもぐれ酔っ払い!
邪魔だては許さんガオー!!
べとつきが残っていたため、濡らした麻布巾でぬぐい取る。
きれいになった状態が上の写真であるが、においは松の木くさい。
乾くまで放置して、明日はとうとうタコ糸でぐるぐる巻きにする予定である。
そのぐるぐる巻きも、糸車をはめながら一重にするか二重にするか決めなければならない。
あと錘も通さなければいけない。
雑草取りは明日もできないが、紐で支柱と綿を結ばなければいけない。
葉と花の重さ、さらに風の強さで少々垂れているものがあるのだ。
糸紡ぎ機の調整 その2
今週の月曜の手紡ぎの会に、この錘を通すための竹製の紐(正式な名称をいまだ知らない)と木の部分を持っていく。
つちや織物所でわたしが使っている糸紡ぎ機には、指さしている部分にも藁紐がついていたのだが、なかったため省略する。
動くようであったらタコ糸を竹に通して木に括り付けるつもりである。
あとはツチヤさんから購入した錘を竹紐に通すだけであるが、それもつちや織物所で行う予定である。
糸紡ぎ機の調整 その1
まずは糸紡ぎ機を3つに分解する。
糸車(正確な名称はまだ知らない)の部分はいずれタコ糸で幾何学模様にくくる予定である。
これも調整が必要であり、先ほど少々いじった。
この錘(つむ)の部分は今週の月曜の手紡ぎの会で調整済みである。
まずは父に穴を塞いでもらう。
このとき父が
「汚いなぁ」「きれいにしたい」「塗装はなにを使っているんだろう」という独り言をつぶやく。
わたしは思わずTwitterで「この完璧主義者め」みたいなことを書いたことを覚えている。
削っているときに松の木製であることに気が付いた様子。
こういった手動の穴開け機と、その穴を広げるための器械まで奈良に持ってきているとは…さすが父である。
台湾にも持って行っていたに違いない!
結果このようになった。
ちょっとズレちゃったとのことだが全く気にならない。
身内にこういうことができる道具を持っている人がいると、大変ありがたい存在となる。
翌日だか翌々日には塗装剤もホームセンターで購入し、テッカテカに塗ってもらった。
ついでに自分で端材を削って作った鉛筆サックも塗ったくっていた。
行動が早いところは見習わねばいけないね。
つちや織物所で見られる木綿たちと、藍染の木綿と
まずはよくお世話になっている消しゴムのカバーもツチヤさんが織った木綿である。
ほかにも茶筒も木綿をまとっており、それはそれでよい雰囲気がある。
木製の茶筒もいいが、ごくふつうの金物の茶筒にこうして木綿を纏わせてもいい雰囲気になって、いつかわたしも…と夢が膨らむ。
鉛筆サックにもいいかもしれない。
こちらはちゃぶ台にいつもかけている大きな木綿であるが、実は縦糸と横糸がそれぞれ違う色なので、遠目には灰色に見えるのである。
接写で撮るとこんな感じである。
黒と白の糸で織られており、それがまたわたしの大好きな市松模様のようで、お昼やお茶の時間が毎回たのしみにもなるわけである。
いつ見ても飽きない。
玄関付近にある家具にはよく花瓶で花が飾られており、その下にはこれもまたツチヤさんの織った木綿が敷かれている。
こちらもやはり手紡ぎの糸なので、多少の太さや細さの違いがあれど、それはそれで模様となって味わい深い。
さかさまになってしまったがそのまま載せる。
このタオルはオカモチさんが紡いだ糸を、ご本人が腰織(こしばた)で織ったものである。
初期のころに紡いだ糸も使用しているので、たしか前半は糸の太い細いがそのまま出ていた。
後半になるにつれ織りなれてきたのもあるのか、色がついていないのに、まるで格子柄のようになっていて実に面白い。
わたし自身が紡いでいる糸だけでなく、こうしてコットンメイトが織った木綿も見ることができるので、ますます夢が膨らんでいくのである。
じつによい環境である。
母の神戸岡本の友人であるカワジリさんからハガキが届いた。
前回お会いしたクボ先生が藍染体験を行うのでお嬢(わたしのことである)もいかがとのことである。
9月にあるそうなので、さっそく明日電話して予約を入れたいと思っている。
8月末ですでに定員オーバーしているかもとのことだが、一か八かで電話してみる。
そういった運はわたしが決めることではないのだ~!
もしかしたら参加できるかもしれないしね。
ついでにもし参加できたら、わたしが紡いだ糸も幾つか持って行って、あわよくば染めさせていただこうと思っている(笑)。
最近の糸紡ぎは太さが落ち着いてきた。
先々週あたりまで紡いでいた1号(この太さはなかなかすごい代物であり、ツチヤさんがたも初めて見たとのこと(笑))の糸をもっていこうかな…!
よりが甘いところとそうでないところの差がけっこうはげしいので、愛で染めて糸を強くしたいのもある。
さらにいえば、カネコさんが紡いで、イムラさんが織った藍染の木綿が、よく見ると染めきれなかった白い部分が絣のような模様になっていて、それを見たツチヤさんが「昔のひとはこういう絣を見て絣模様を作ったんだねぇ」と言っていたことが今でも忘れられないのである。
「絣模様」よりも細い白い部分が自然と模様になっていて、わたしはそれにほのかな感動を覚えたのである。
いつまでも忘れられない感動であり、わたしが藍染をやりたいのも、この自然と出てきた絣模様を見てみたいのもある。